ケーキハウス ダイアリー

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槍ヶ岳の頂

16/10/2011 in 旅記 【登頂データ】 メンバー→2人 日時→10月上旬 東京からの所要時間→約5時間(非渋滞時)。中央道松本ICを降りて、梓湖、上高地を尻目に野麦街道を抜け、新穂高温泉駐車場(標高1100M付近)へ 往路コ・・・ もっと読む

マレーシア、タイ、カンボジア バックパッカーの旅 Part14(バターワースへ)

28/05/2011 in 旅記

朝の8時30分。バスターミナルは、多くの人で賑わっていた。仕事に行く人、学校に行く人、大き目のバッグを持って里帰りだろうか何処か近くではないところへ行きそうな人、そしてバックパッカー風情の人。 雨が降りしきる中、自分が持つチケットを確認する。そこには№12と書いてある。横にはバス会社の名前。どうやらバスはこのポートに到着するらしい。ポートをのぞくと、バスはまだ来ていない。そういえば、朝食も食べていない。ターミナル内にあるお店で簡単な朝ご飯を食べれそうな場所を探すと、前述した通り何でもある。パン屋もある。マレーシアのパンはどんなものがあるのだろうと物色してみると、意外とラインナップはサンマルクカフェと変わらない感じで、肩透かし。逆に言えばパンは基本万国共通。飲み物に牛乳はチョイスせず。車内でお腹が痛くなりそうな気配のものは極力構想から外す。外れるのはミルク、三浦ミルク。 しばらくしてポートに行くと、バスが到着していた。バスの側面には、チケットに書いてあるバス会社の名。隣に立つおじさんにチケットを見せ、「これで正しい? バターワースに行く?」と聞くと、「YES」。最終確認で、運転手にチケットを見せると「NO」。What? 「このバスはバターワースには行かない」。バスを降りて、さっきとは違うおじさんに確認すると、「そのチケットのバスは№13だよ。変わったんだ」という。急いで荷物置き場からバックパックを掘り起こす。雨、止んでください。 「fxxk! ハメられた!!」、サスペンス映画だったら、そう叫んでいただろう。俺のせいじゃない。こういえば、大体状況の善悪は逆転するんだ。でも現実はポップコーンムービー風に「違うんだって! いったいどこに行けばいい!?」。濡れながら報告する姿は、我ながら滑稽だよ。バスが出発しかけていただけに、ギリギリのタイミングだったかもしれない。そういう意味では手に汗を握る。№13に移動してチケットを見せると、「NO。これは№5だよ」と。うん、そんな気がしてた。僕はこれを知っている。LCCTに着いたときにダウンロードしたもの。それにRPGゲームのおつかい系たらい回しミッションは慣れているんだ。次は、あの街に戻るんだろう?  №5。「OK、このバスだ」。ゲームクリア。「アレ、もう終わっちゃったの? まだ2コンのマイクで叫んでないぜ!?」。内心はホッとしたんだ。この大雨の中、大きな荷物背負ってバスを探すクソゲーを、僕達はファミコンショップ『カメレオン』で購入していない。ラスボスの運転手にチケットを見せると、「その通り、このバスがバターワースに行く。安心しろ」。隠しステージはない。「よく頑張ったな、これをやろう」と1000Gくらい貰えると思ったけど、ご褒美は何もなし。ただ経験値が上がる音は聞こえたような。あながち人生がRPGなのは間違っていないかもしれない。 それにしても大雨じゃないか。この時期の南マレーは雨季とは聞いていたけど、振り続けるような雨とは聞いていない。一気にバターワースまで約500キロ北上するけど、あっちは晴れてるんだろうか。動き出すバスのなかで窓にぶつかる雨音を聞いて不安に思う。マレーシアに雨男とか晴男のような言い伝えはあるんだろうか。日本にしかないとすれば、この雨は何男が降らせているんだろう。 バターワースは目的地のジョージタウン(ペナン島)の対岸の街。バターワースに到着すれば、そこからペナン島まではフェリーで10分。目と鼻よりも近い、目と眉間の距離だ。マラッカからバターワースまでは高速バスで約7~8時間。ひたすらマレーシアの高速道路を北上あるのみ。 バスは快適。リクライニングもバッチリできるし、席も広い。フカフカとまでは言わないけど、座っていて疲れることもない。冷房も効いている。若干、効かせすぎのきらいもあるけど、長袖を着込めばノープロブレム。これで45RM(約1400円)はお得だ。乗車率は50%。おまけに自由席なので、気ままに席でくつろげる。女性誌で見かける『結婚できる服の合わせ方 10の法則』嘘八百もいいところ。一体誰が信じているんだ。『マレーシアの中距離移動は高速バスで』、こっちは胸を張って「You should trust!」。 マレーシアの高速道路は、日本の高速道路とほぼ同じ。風景がジャングルに亜熱帯なだけ。背景を緑のクロマキーにして、ジャングルに差し替えれば東名高速みたいなもんだ。ただ緑のクロマキー以上に天然の緑。この天然を前にすればCGの出番はない。ガイドブックに載っている中都市タイピン、イポー。旅程に余裕があれば訪れてみたかったけど、高速のサービスエリアに立ち寄るだけで精一杯。イポーのサービスエリアのトイレの前にいた妖しい薬を売るおじさん、どこから声を出しているのか分からない唸るような前口上。この人からもプロ市民の匂い。嫌いじゃないぜ、あんたみたいな人。好きでもないけど。14時近くで小腹も鳴いておろう。サティ(焼き鳥)をアイテム袋に入れて、再びLetsバターワース。 バスのなかはやることがない。本を読もうと思ったけど、窓の外を見ているほうが楽しかった。何も変わらない風景なのに。気が付くと雨は止んで、北は晴れ間が差し込んでいる。こんだけ雨が降れば、あんなわけの分からないような植物が生い茂っているのも納得だよ。あんなに雨に降られたら、人間の生活は営めない。圧倒的な熱帯植物の数は、人間がここに住むことを頓挫した分だけ生えているんだろう。目的地のバターワースの文字が見えると、街まではすぐだ。長い長いバスの旅も終わりだ。バスターミナルに着くと、まるで雨が降っていた形跡はない。ここに人が暮らせる理由が分かる。『ジョージタウン』は人が多いと聞く。楽しみだ。

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マレーシア、タイ、カンボジア バックパッカーの旅 Part13(マラッカ9)

19/05/2011 in 旅記

目を覚ますと、おじさんとの約束の時間には、十分すぎるほどの時間を持て余していた。日本とマレーシアの時差は1時間しかない、つまり日本が23時のとき、ここマラッカは22時になる。日本でのキックオフは23時なので、こちらは24時になる。つまり、インド人ストリートの中華屋台へは24時を過ぎたころに到着すればいいのだ。それまで時間はまだ30分ほどある。 ゆったりと何をくゆらせるでもなく、ただ何かをくゆらせるようにのんびりと過ごしていると、「日本でキックオフが23時であれば、もしかしてこちらでは22時にキックオフなのではないか?」と、ふと思った。疑念というシミは、重曹や蜜柑の皮で拭いても、まったく落ちない。お婆ちゃんの知恵ですら落ちないのなら、もうどうにもならない。カタールで開催されている。ということはカタールからマレーシアは日本より近い距離にあるわけで。日本で開催されていればキックオフは24時。 『there will be blood』で石油が空に噴出する瞬間、『Shining』でエレベーターから大量の血が流出する瞬間。急いで準備を整え、外に出る。「アジアに翻弄された!!」。時差を使ったトリックなんて、西村京太郎は教えてくれなかった。雨が止む気配はなく、傘もささずにインド人ストリートへ駆け出す。 それらしき店が見当たらない。2往復しても、あのおじさんに似た人が観戦しているような屋台はない。何件かテレビにサッカーの映る屋台らしき店はあったが、僕らが認識する大型モニターというような都市的なものは見当たらない。28インチくらいのテレビを横目で見ると、試合は後半30分に差し掛かっていた。人間が諦めて帰るには、十分すぎるほどの時間が流れていた。 そのまま僕はその店でサッカーを見ることにした。旅で初めてのビールを頼んだ。いったい何に乾杯だか分からなかったが、とりあえず「乾杯」。中華系の人と、それから別のインド系の人。日本人は僕らだけの状況で試合を見ていると、中華系の人がちょっかいを出してくる。そういうなかで李の芸術的ボレーが放たれた。おじさんに本当に申し訳ないことをしたという自責の念を吹き飛ばすようなゴール。だったかどうかは、覚えていない。一人、頓狂な声をあげた。アジアカップは歓喜と喪失のなかで、いつの間にか終わっていた。同時に、アジアの只中にいることを実感した。 日本人への心象を損ねてしまったのではないか。考えすぎかもしれないが、これを考えなくなったら、それはそれでどうかしている。それくらい、あのおじさんは無邪気だった。天井のファンが回想のごとく風を送る。翌朝、出発は早いが、バスターミナルまではあのボロバスで行く。朝の7時30分に広場のバス停に行く。もしかしたらおじさんがいるかもしれない。 目覚ましで、まだ雨が降り続いていることを知る。雨の音で起きる、そんな小説みたいな朝ではなかった。階下で2日分の宿代を支払い、誰もいない通りを雨のなか歩く。とにかく、雨だった。20分ほどで、ボロバスが来る。いろいろとお別れだ。とにかく、雨だったのだ。広場には、誰もいなかった。

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マレーシア、タイ、カンボジア バックパッカーの旅 Part12(マラッカ8)

16/05/2011 in 旅記

スタダイス広場に戻ると、一人のトライショーの運転手が話し掛けてきた。「何をやっているんだ? 暇なら俺のトライショーに乗らないか?」という話かと思いきや、「お前らは日本人か? 今日はアジアカップの決勝だな! 日本を応援しているぞ」と話し掛けられた。そうなのだ。今日はアジアカップの決勝の日。日本出発前からアジアカップに一喜一憂していたわけで、決勝戦を異国の地、しかもアジアで見るということを、心待ちにしていた。 思いがけないところで、サッカー話になった。運転手のおじさんはインド系のマレーシア人で、インド人である祖父がマレーシアに移住してきて、そこからマレーシアに住みついたといっていた。ここマレーシアではサッカーが人気で、おじさんも大のサッカー好きだという。話をしているうちに、「日本のサッカーは面白い。決勝に行くだけのパフォーマンスをしているし、アジアとしてオーストラリアに勝って欲しい!!」と、日本代表と一切関係ない僕に頼んできた。僕も、「今日は絶対に勝つよ! 約束するよ!!」と、手術を恐がる子供にゴールをプレゼントするかのような意気込みで、勝手に約束してしまった。なんというか、波長があった。おじさんは、「お前は大きなモニターで見れる場所知ってるのか? もし知らないんだったら、俺と一緒に見ないか? インド人ストリートのなかほどにチャイニーズ系の屋台がある。そこにデカいテレビがあるから来なよ」と誘ってくれた。インド人ストリートのチャイニーズ系の屋台、「ややこしいなぁ」と笑った。 この旅で印象的な人物に何人も会う機会に恵まれた。それは単に僕が喋るのが好きだからかもしれない。このおじさんはその彩りの冒頭部分を飾る人物として、今なお、僕の脳裏に鮮明に色づいている。おじさんの申し出を快諾した僕は、「必ず行くよ!」と握手をして別れた。僕と話している間、多くの観光客が広場に来訪していた。他のトライショーの運転手は観光客を乗せて、音楽を響かせながら出発する。だが、おじさんは僕と話す。つまり、おじさんは仕事を放棄している。その潔さというかダメなところというか、要するに人間らしいところがとても魅力的で、ついつい話し込んでいると、団体客が来訪したため、おじさんもトライショーに戻っていった。「必ずこいよ!」と。 一旦宿に戻り、休憩をすることにした。なんだかんだと今日も歩き回っている。横になって、うとうととしているうちに少しばかり寝ただろうか。外は相変わらず雨が降っているが、傘がなくても行動できる雨量。昨日、この先にマラッカの都市的機能や商業施設がありそう、なんて言っていた場所にいってみるか。再びタウンバスのバス停に行くと、また先ほどのおじさんが。「また会ったな。何しに行くんだ?」。バスが来るまで話し込んでいると、向かう先にはどうやらカルフールや若者向けのショッピングモールがあるらしい。おじさんは同業者がゲットしてきたお客さんを乗せるためトライショーに向かい、僕の目の前を通り過ぎて海辺のほうへ向かっていった。観光客を乗せているのに、「あとで来いよーーーーッ」と手を振って通り過ぎていった。仕事をしている人の背中だった。ただし正面はそうでもないらしい。 バスが来るまでしばらく時間があった。さすがに夕方の小雨は、若干涼しいを通り越して肌寒かった。横に日本人らしき女性一人が大きなバックパックを背負って待っている。もしかしたら中国人かもしれない。何をいうでもなくただ待つ。バス停だから、色々な人が並ぶ。待つ時間が長ければ長いほど、多種多様な人が並ぶ。さきほどの女性と違うおばさんが中国語で話し掛けてきたが、「すいません。中国語は分からないんです」と答えると、とても残念そうな顔をしていた。バスが到着し乗車するとき、雨の中、かなりの時間待ったであろうバックパックの女性を先に促したところ、「どうも」と小さく声をかけられた。日本人だった。一人でバックパックする若い日本人女性(といっても25~30くらいだろうか)を見て、心の中で良い旅であることを祈ってしまった。 バスに乗ると、どうやら地元の大学生と思わしき男女が数人乗っていて賑やかだった。当たり前だが、このボロバスも時間によって、さまざまな人口密度になる。キャッキャッいう雰囲気を眺める。斜め後を見ると、「Fuck off」というTシャツを着た青年が、完全にシンナーを吸っていた。「あんなアナログな吸い方する人いるんだなぁ」なんて感心すらしてしまった。この青年はどこから見てもジャンキーだった。誰に紹介しても恥ずかしくないほどのジャンキーである。ドヤ街に私設警察がいるように、このボロバスにジャンキーがいることは、健全な画にも見えて、確かに危ないのだが、なんら違和感はなかった。ただ、完全に狂犬病の犬と同じ症状を発露していたので、その青年と眼を合わせることはしなかった。その青年は二つ目のバス停で降車したのだが、酔っ払ったコントで見せる志村けん並みの揺れ方で降りていった。その揺れ具合に、バスの大学生達も苦笑するほかないようで、「あれを野放しにしてよいのだろうか」という選択は、サンデル教授に君は放っておいてよいと思う?と詰問されない限り、誰も持っていなかったように思う。あの青年のような存在は結局どこにでもありえるわけであって、いうなればカマイタチで指を切ってしまうような、起こってしまったときは不可避だと諦めるしかないのかもしれない。 目的のショッピングモールが並ぶ大通りは意外と近かった。若者が行くようなお店も集まるのだろう、バスのなかの大学生もすべてここで降車していた。カルフールをはじめ、一通りデパートやセレクトショップなどに入って物色してみたものの、お眼鏡に叶うような短パンはなかったという。それも当たり前で、そこそこの施設なわけだから値段も相当価格になってしまっている。マラッカにおける少しグレードの高い商業施設や娯楽施設を覗けたことは面白かったし、オープンスペースで開かれていたクラブイベントのようなものも見れて楽しかった。なんというか大学生のノリは万国共通らしい。言葉が分からない分だけ、こちらのほうが落ち着いた。 外の雨は激しくなる一方。オープン間もないデパートを散策している間にピエロがくれた風船をどうしていいか分からずに、雨のなか傘代わりにしていた。これじゃさきほどのジャンキーと変わらないような気がしたので、誰にも邪魔にならない場所に捨てることにした。風船をそっと捨てるのは、風船を膨らませることよりも遥かに難しかった。マクドナルドで雨宿り。屋根のある外の席には、スクリーンにプレミアリーグ「チェルシーvsエバートン」の試合が映し出されていて、皆、サッカーを見ているようだ。画面を見ていないのは、女性の気を引こうとなんとか努力している男性であったり、くんずほぐれつを予感させる男女の大学生集合体だけだった。ツンとしたキャバ嬢のような格好をしている女性に対して、懸命にビックマックをすすめる気の弱そうな男性を見て、ジャイアントキリングを願う。 雨が少し弱くなったので、タイミングを逃さず宿へ向かう。ジョンカーウォークのナイトマーケットは今夜も雨のなか、通常営業といった雰囲気。人の出は若干寂しいが、屋台を構える人たちの数は変わらない。商品が雨にぬれないようにテントを張り、浩々と夜空に光を照らしていた。アジアカップ決勝まで時間がある。シャワーを浴びて、横になる。キックオフまで寝ることに。起きれるかどうか、それが問題だった。

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マレーシア、タイ、カンボジア バックパッカーの旅 Part11(マラッカ7)

4/05/2011 in 旅記

インド人ストリート。やっぱりマスタード色がまぶしく、この手の色のパーカーが欲しいと思っていた僕は、自分勝手な親和性を抱いていた。ここで昼ご飯をたべよう。ザ・庶民的という響きがピッタリな一軒のお店を見つけた。インド人の庶民性は知らないけど、お昼を過ぎた14時あたりのほど良い混雑ぶり、そして外から覗く店の内観は、普遍的な庶民感であり、ここがおそらく最もインド人っぽい感覚を体験できるのではないかと思わせるのに十分だった。 なかに入ると、眼に入る全ての人が右手でご飯を食べていた。瞬間、「これはこちらも手で食べなければならないのでは」と思うものの、良いのか悪いのか時はすでに遅く、店員さんに案内されるがままにレッツ着席。NOといえない日本人、というよりも、NOと言わす前に行動するインド人。店内で完全に浮いているのではないかと思った。でも、なんというのだろうか、ここに居合わせたほかのお客さん(つまりはインド系の人)はそんな目を向けるでもなく、いたって普通に午後のひと時を過ごしていたし、お店の店員さんもなにか必要以上に親切に対応してくれたように思う。興味がなかっただけかもしれないけど、「お、なんだなんだ」みたいな雰囲気とまなざしを向けられなかったのは、とても嬉しかった。 メニューを見ると、わけのわからない文字が書いてあった。ヒンドゥー語とマレー語でしかメニュー表記がなかった。ということは、今から自分が何を頼むかも、そして何が出てくるかも検討がつかない状況に陥ったことになる。発見したはいいものの、何をどうしたらいいんだろう。バスコ・ダ・ガマもインドを発見して上陸したとき、こんな感じだったのかもしれない。とりあえず、英語で「これはカレー? ライスはあるの?」なんて指差し確認しながら、店員さんとコンタクトを取ると、店員さんは最低限の英語しか通じないようで、「YES」しか答えないのだった。こちらもいっぱいいっぱいだったし、店員さんもいっぱいいっぱいだった。 そういうとき人間の交感神経と副交感神経は役目を失ってしまい、「もう一番上に書いてあるメニューが一番人気に違いない!」と自己暗示を始めるしかないのだ。メニューには、山のように表記があるのだが、もういっそのこと一番上を頼んだら一番失敗しないはずであると思わざるを得ない。牛丼屋に入ってメニュー表記の一番上のものを頼んだ場合、牛丼が出てくるに決まっている…まさか牛鮭定食や焼き鳥丼が出てくるわけないだろう! でも、ここは異国、常識が常識じゃないかもしれない!! 豪遊、そして猛省ッ!! そんな葛藤と混乱のなか、とりあえず店員さんがマトンカレーだという(一番上に書いてある)メニューを注文。 しばらくするとバナナの葉っぱが目の前に。バナナの葉っぱが置かれたときに、「南インド系のお店、キターーーーーッ!! 圧倒的本格感ッ…いよいよスプーンは使えねぇ…」と武士の一分を覚悟。葉っぱをプレート代わりにして、その上に次々とボールに入ったサイドメニューが、柄杓のようなものですくわれて、ドスンドスンという感じで葉っぱに盛られていく。ピクルスが盛られと思ったら、その横にヨーグルトみたいなもの、またその横に見たことのない付け合せのようなもの。最後にけっこうな量のご飯を盛られ、カレーが2種類、葉っぱにぶっ掛けられた。けっこうな量である。 写真を掲載できれば良かったのだが、とてもじゃないが写真を撮る余裕はなかったし、なにより一度食べ始めたら、カレーまみれの手でシャッターを切ることになるため不可能だった。とにかく、目の前にちょっとした小宇宙が広がっている。何をどうすればいいか分からない。とにかく混ぜてみよう。こういうとき人は、赤子になるしかないのだなぁと思った。目の前にあるものをとりあえず動かしたり触ったりする、時に口の中に入れてしまう赤子の如く、我々もどうしていいか分からないため目の前のものを何となく動かしてみた。手で。周りをちょいちょい見ながら、見よう見真似でトライ。 すると俗にいう、手で食に触れてみることで、普段では絶対に感じ得ない感覚というものが分かる。一つの実験がある。インドの大都市のスラム街に、電源の付いた一台のパソコンを放置したところ、スラム街で遊ぶ子供がさっそく食いついたという。誰に教わるでもなく、ガチャガチャとパソコンをいじっていたところ、その子供は8分後にインターネットにアクセスしてしまった。その後も立て続けに違う子供たちがPCを触りにきたというが、平均8分で子供たちはネットにアクセスできたのだとか。もちろん子供たちは何のこっちゃわからないだろうし、そもそも読み書きも出来ないから、そこにどういう変化があったのか自覚していないだろう。しかしながら、人間の探究心が何かを導き出すという一つのデータとして、とても興味深いエピソード。触れてみる、そして動かしてみる。あまりに根本的なことだけど、確実に何らかの化学反応が起こっているのだ。 まずカレーそのものが暖かくない。むしろぬるい。でも、これがアツアツだったら火傷してしまうし、ご飯とルーを混ぜ合わせることが出来ないのだ。「あ、カレーってぬるいのが正体なのかもしれない」と思ってしまった。次に、純粋に食べづらい。右手で器用に食べている人がいかに器用であり、口に運ぶまでの動作が完璧なのか、実際にバナナの葉っぱで試してみると痛感した。お皿のようにへりの部分がないから、すくい上げることが激ムズなのだ。ピクルス(アチャ-ル)なんかを混ぜ合わせると、ちょっとすくい易くなる。形式も様式もまったく異なるが、もんじゃ焼きを器用に作れるかどうか、みたいなテクニックに似ているかもしれない。 サイドメニューでついてくるラッサン(酸味の強いスープ)が、どういう役目なのか全く分からないのも新鮮だった。ただでさえ、ヨーグルト(パチャディ)とかピクルスとか酸味の強いものが多いのにスープまで酸味が利いているとなると、「これはお口直しとかそういう類のものじゃないんだろうな」と思わざるを得ないわけで。このラッサンはとにかく酸味が強烈でこれだけは完食できなかった。というわけで、他のものは完食。カレーそのものは美味しいし、食事自体も大満足。カレーやサイドメニューがなくなると継ぎ足しに来てくれるサービスも最高なわけだけど(「もう大丈夫。結構です」と2~3回はいっただろうか。それでも「いる?」って聞いてくれるのは有難いやら困るやら)、とてもじゃないが量が多くて1週目で満腹です。これで9RM(約300円)は安すぎる。でも、ラッサンはすっぱ過ぎる。小学校時代の同級生であだ名が「ちょすっぱ」だった女の子のことを思い出すほど、酸っぱかった。 最後にチャイがきてホッコリしていると、となりに座った子供連れの母親が注文したビーフンのようなものが運ばれてきた。そのお母さんは、スプーンにビーフンを乗せ、フォークでクルクルッとお洒落に巻きつけ、上品に口に運んでいた。「ああ病気の子供はいなかったんだ…」ならぬ「スプーン使ってよかったんだね…」。でも、そのとき痛烈に思ったのは、もし自分が頼んだものが麺系だった場合(メニュー表記が分からないし、店員さんとの意思疎通が未熟だったら)、僕はそれでも右手でビーフンを食べていたのだろうか?ということだった。手で食べるということは、食べ終わった後もいろいろな問題を僕に突きつけていたのだ。 考えてもみてほしい、そこそこアツアツのビーフンが目の前に来て、事前に何の予備知識もなく差し出されたら、やっぱり馬鹿の一つ覚えで右手で片岡鶴太郎よろしく、「熱いッ! 熱いッ!!」といいながら食べていたのかもしれない。そしてそれをみたインド系の人は、「プププッ! ププププッ~~~」と、うすた京介漫画ばりの嘲笑を向けるかもしれない。とても恐ろしいことだ。試行錯誤と意思疎通を重ねて、目の前に運ばれてきたものが米であって良かった。そして、となりで子供を諭しながら、ビーフンをスプーンで食べるインド人お母さんに遭遇できたことを僕は感謝した。南インドで一般的なミールス(バナナの葉っぱで食べる定食)といえども、麺の場合などはスプーンを使ってOK、これも手で食べていなければ思考を重ねることが出来なかったはずだ。 お店の奥には、横に幅のある水飲み場がある。蛇口が4つほど横に並んでいるため、中学校の校庭などを想起させる。なにか懐かしい感じだ。これは水を飲む場所ではなく、皆が食べ終わった後、手を洗う場所なのだが、「キレイキレイ」のような手洗いソープや手拭用のキッチンペーパーが完備されている。「ここまで完備するするくらいなら手で食べなきゃいいのに」と、誰もが突っ込みたくなるほど充実している。とても不思議だ。インドという国の一端を覗いたかのようだ。 犯罪者のように、何度も石鹸で手を洗ったのに、その日一日、右手からカレーの匂いが消えることはなかった。記憶が記録として宿ってしまっている。右手の爪は、僕が欲しいと思っているパーカーと同じ、マスタード色に染めあがっていた。だからといっても、この爪がパーカーになるわけがないので、僕はますますこの色のパーカーがほしくなってしまったのだった。

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マレーシア、タイ、カンボジア バックパッカーの旅 Part10(マラッカ6)

24/04/2011 in 旅記

再び舞い戻ってきたバスターミナル。まずは、換金所のレートをチェック。空港よりも遥かにレートは良いものの、チャイナタウンとはさほど変わらず。実はスタダイス広場近くに、この界隈で最もレートがいいと言われる換金所があるのだが、どういうわけかここ3日くらいお休みの模様。とりあえずここで1万円分を換金することで妥協するほかないように思われた。すぐにペナン行きの高速バスチケットを買わなければならないこともあり、とかくも換金は必要だったし、昨日今日見たなかでは最高値に近いレート率だったこともあって、まぁまぁ納得のレートでエクスチェンジ。 レート率にこだわらない人もいるようだが、可能な限り換金のレートはこだわったほうがいいと思う。結果的に街中を散策することに繋がるし、旅のスキルが上がるため(特に国境を越える旅をする場合)、換金所はある程度見てまわることを推奨する。事実、僕はたった17日間であったが、円→リンギット→バーツ→ドル&リエル(カンボジア通貨)→リンギット→円と換金を繰り返すことで、普段新聞やネットなどから見て取れる経済や金融面以外でのお金の価値(観)というものを思い知ったような気がする。 後に触れるが、旅の最中は(今現在も進行中だけど)全面ドル安の局面。カンボジアでは、地域通過であるリエルよりもドルのほうが融通が利くこともあり、ドルを保有していたわけだけど、バーツからドルに変えたときの「お金増えたな~」感には目を見張った。こういったことにある程度センシティブになるには、日ごろから経済事情や金融事情に多少明るくないといけないわけだが、それでも換金所にこだわるだけで保有する紙幣の数が変わるため、意識の差異は相当あると思う。 さて。そんわわけでペナン行きのバスチケットを買えるブースを探す。こちらのバスターミナルは各会社ごとに小さなブースに分かれており、両手で数え切れないほどのバス会社が居を構えている。まるでコミケのような感覚で小さいブースが円環状に所狭しと並んでいる。日本のように大きな窓口があり、「●●行きのチケットください」というわけにはいかないため、一つずつ各会社の窓口を覗き、バターワース行き(ペナン行き)があるか確認しながら見て回らねばならない。もちろん当日にバスチケットを購入することもできるが(またはネット上でも)、異国の交通機関、それも中~長距離の場合は、前日購入のほうが間違いない。 各会社のブースの窓口には、バスの内装や外観、アメニティなどの写真はもちろん、値段、出発時刻(到着予定時刻)も明記されているので、バスをチョイスする楽しみも味わえる。僕は出発時間が一番早いバスかつ値段の安いものを選ぶことにした。もちろん、先着順なので売切れてしまえば手も足も出ない。値段の割に豪華なものから売れていくため、のんびり当日に購入なんかすると「そこまで求めていない」というようなデラックスVIPバスしか残っていないこともあるので注意。なお、事前情報ではマレーシア高速バスの最大手「トランスナショナル社」のバスが最も低価格でサービスもいいとのことだが、必ずしもトランスナショナル社に固執する必要はないと思う。意外とその他のバス会社も低価格で内観・外観ともに立派なものは多かった。 朝9時30分出発のバターワース行きチケット(45RM≒約1500円)を購入。チケットには座席番号が明記されており、明日乗るバスは指定席であることが分かった。と、同時に指定席という概念が一応あることに安心した。しかしながら、よくよく考えれば、何度もバス移動やバン移動を繰り返した17日間で、指定席だったのはこのバターワース行きのバスだけだった。やっぱり、指定席という概念はあんまりないのだと、今はしみじみ思う。だが、このときは「お、指定席」と思ったものだった。なんだかすべてが懐かしい。 無事チケットを購入したので、昨日は出来なかったターミナル内のショッピングエリアを探索。ファストフード店やカフェだけでなく、ローカルなフードコートやパン屋、コンビニ、雑貨屋、ケータイショップ、衣料店、お土産屋、卓上ゲーム機など、日本のサービスエリアのようなラインナップが集っていた。だが、日本のSAのような整備された集合感はなく、荻窪タウンセブンを彷彿とさせる雑多な共存感が渦巻く空間。ヲタ要素を抜いた中野ブロードウェイ2Fも近いかもしれない。 しかも、このターミナル、左右の両端に市内近距離行きバスターミナルと国内中~長距離行きバスターミナルが配置されているシンメトリーの構造になっていて、その中間にいま言ったような雑多なお店が凝縮している。見ようによっては、この真ん中から出汁が取れそうなほど、店が集まっている。中央エリアは何がなんだかよく分からず、何度も迷ってしまった。両端のバスターミナルを握り、雑巾を絞る要素でひねることで生み出される、とてつもない雑多感の渾身のワンドリップ。そのなかを彷徨うわけだから、何がなんだかわからなくなってくる。そのくせ、一通り探索してみたものの、「これいいな!」と思えるものがまったくないのも素敵だ。他人の勉強机をのぞいた挙句、「汚いから片付けろ」という人がいる。だが、本人は「これで整理されている。絶対に位置をずらすな」と考えている。まさにこのバスターミナルはそんな感じだった。なお、ここではトイレを利用するのに0.2RM(約7円)払わなければならない。喜捨という概念からなのだろうか、タイにしてもマレーシアにしても、公共スペース(飲食店を除く)では約50~70%の確率でトイレには必要経費がかかる。これらの国では、“トイレの神様”などというきな臭い偶像は存在せず、入り口の前に「お金をおきなさい」という鋭い眼差しを放つ“トイレの門番”しかいない。僕は断然こっちのほうがリアリティがあって好きだ。 バスターミナルからイオンが近かったので、「マラッカのイオンを見たい」と向かってみる。 しかし、イオンはイオンだった。店を出るころには、イオンと発するとマレー語では「オシッコ」を意味するみたいなことになったら嫌だなぁなどと考えていた。要らぬ世話を焼いてしまった。一枚もイオンの内観写真を撮っていないあたりにも、当時の精神状況がうかがえる。かえるの子はイオンなのだ。イオンが鷹を産むと思った僕が間違いだった。そんな虚無感を演出するように、外はスコールだった。動けない量の雨。シャワーとかスコールというよりも、カーテンという感じ。しばしドア付近のベンチで通り過ぎるのを待つ。雨の音はフォルテシモ、しばらく待つとピアニッシモ。だが、晴れ間はのぞかない。どうやら今日は小雨が降りつづけるようだ。小粒のなかバスターミナルまで戻り、いったんスタダイス広場へ戻ることに。ボロいバスは相変わらず最高の乗り心地だった。

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マレーシア、タイ、カンボジア バックパッカーの旅 Part9(マラッカ5)

22/04/2011 in 旅記

二日目のマラッカもどんより。雲が重たそうにしており、今にも空から蓋が開き、ドサーっと雨が降ってきそうな感じだった。早朝の散歩は欠かせないだろうということで、地図を広げ、昨日歩いていない所を探す。どうやらジョンカーウォークから歩いて5分ほどのところにインド人ストリートがあると記述してあったので、そこを歩いてみることにした。河を越え、ザビエル教会を広場とは逆方向に向かう、すると道を隔ててインド人ストリートが見えてきた。 とかく黄色い。屋根や壁が剥げ落ちた黄色、つまりはマスタード色の区画が姿を現わす。あまりの色感の差異。たった一本、道を隔てただけで、こんなに色感というか情報の質が変わるもんなのだろうか。ジョンカーウォークはチャイナタウンであるため、赤や緑といった色が目立つわけだが、そのお隣ではマスタード色が前面に迫ってくる。広場に目をやればピンクのテリトリー。一体、色というのは、そこまで自我を左右できるほどの価値観だっただろうか。 「へうげもの」では、秀吉は黄金色、利休は黒色といった具合に好きなカラーが自己の存在を象徴しているわけだが、普段、なんとなしに生活している僕らに、そこまで鮮烈な個性や集合体を意味する記号的な色感があるだろうかと思ってしまった。自分の色は何色だろう。また個人のキャラクターとはまったく異なるベクトルに発信されている色使いを想像してみるのも面白い。例えば品川は何色、上野は何色、渋谷は何色などと、様々なものに自分勝手にカラーリングしてみたら、あまり意識したことのない色使いが見えてくるのかもしれないと思った。 インド人街は朝早くから賑わっており、日本でいう定食屋のようなレストランは、軒並みインド系の人たちでごった返していた。雑貨屋や日常品を売っているスーパーなども「対インド系」のお店ばかり。サリーやパンジャビドレスなどのインド系の人たちご用達の民族衣装が「大特価!!」的な感覚で売られているし、店頭に飾られた文言にも漢字や英語の出番はない。頭に巻くスカーフやシルクなど、売られているものから逆算できてしまうような分かりやすさ。帰納法、帰納法、帰納法。マレーシアの中でも多国籍感が凝集されているマラッカならではの光景。はたから見ていると、決して広大ではない区画に「うなぎと梅干」「てんぷらとスイカ」を思わせる合食禁のような共棲が展開されているわけだけど、実際のところはどうなのだろう。マレーシアにはマレー人を優遇するブミプトラ政策もあるわけで、色々とやぶさかではない事情も少なくないはず。しかし、こうやって平凡な日常風景を見ている限り、旅人にしか過ぎない僕には知る由もないし、また、推し量ることもできなかった。 1時間ほど歩き回る。日本へ無事をお伝えするため、ネットが出来るカフェのようなところに入り、コーヒーをすすりがてらPCにアクセス。元気でやってます的なことを打ち込み、朝飯場所を探す。落ち着けそうな中華屋に入り、スープなどを頼む。飲み物として黒糖をベースにした紅茶のような飲み物もいただく。さっぱりしたスープと甘ったるい黒糖茶の組み合わせは、それこそ合食禁のようにしか思えなかったが、ゆっくり黒糖茶を飲み干すチャイナタウンの午前は、とても贅沢だった。ジャスミンの香りのするウェットティッシュなんて洒落たものが出てきて、無駄にテンションが上がってしまったのだが、会計時にキチンとティッシュ分1RMが上乗せされていたので、「なるほどなぁ」とも思った。 この日の大きな目的は2つ。一つは当面の資金分を換金するため、比較的レートのいい換金所を探すこと。もう一つは明日の目的地であるペナン島までの高速バスのチケットを購入することだ。そんなわけで朝飯を食べ終え、昨日スタダイス広場へと送り届けてくれたバスターミナルへ移動。1時間に1~2本タウンバスがランダムに来るので、着の身着のままバスが姿を現すまで、停留所でバス相手にだるまさんが転んだをしつづける。 20分ほど待ったころに到着。愛しのボロバスへと乗り込む。料金は1.5RM。なぜか昨日よりも0.5RM高い。加えて、昨日とボロボロの部分も若干異なる。同じ様にボロバスなのだが、昨日の奴とは似て非なるバスのようだ。たった1日だけど、無駄な愛着が湧きつつあり、ボロボロの部分の見落としは抜け目なくチェック。仮にシンデレラが意地悪なお姉さんたちから「このバスをキレイにするまで舞踏会へは来るなよ」と釘を刺されていたら、間違いなくシンデレラは来場できなかっただろうボロいバス。カボチャの馬車など存在しない。あるのはボロいバス。これに乗ってシンデレラが舞踏会に向かったら、きっとシンデレラはガラスの靴で水虫になっていただろう。ローカルなフェアリーテイルはここに。すでにこのボロさが、一種の魔法のようさ。 ボロバスが通る、スタダイス広場の先はどんなルートを辿るのか分からない。昨日降りた場所が、今日の出発地点なのだ。このささいな行動の連続が、旅の全てであり、始まりになる。舗装された道でも、バス自体に跳ねる特性があるようで、時折マリオカードでお目にかかるような小ジャンプを繰り返し、バスは進む。海岸線。この道は昨夜歩いた場所だろう。さらにその先へ進むと、運転手は停留所でも何でもないところでおもむろにストップする。この世界にはアイドリングストップなどという概念はなく、豪快にエンジンをかけたまま運転手は降りていく。何事だろう。 ヒビの入った窓から運転手を注視すると、彼は屋台でアイスティーを買っていた。ビニール袋にアイスティーを入れて、ストローでチュウチュウしながら運転席に悠然と戻ってくる彼氏。一連の流れは初めてみる光景だが、おそらくその運転手行きつけの屋台であり、この行動が彼の一日を成立させる“なくてはならない”ルーチンであるんだろうと、思わずにはいられなかった。職務のなかにあっても個人としての絶対的なこだわり、自由があるのは、まさに窓を覗くような思いだった。 タイムロスとか、そんなことを考えているような乗客は誰もいませんでした、いませんでした、いませんでした。このバスに乗っているのは、途方もないことを途方と思わないような人たちしか乗っていないようなのだ。待ちぼうけする時間は、ある意味ではもっとも豪勢な時間の使い方じゃないか。風が気持ちいいとか、今日の昼ご飯は何食べようとか。そういう人たちは多分、ほんの少しみんなより気持ちのよい風を受けているような気がする。 バスが住宅地を抜け、銀行などが揃う大通りへと向かっている。商業施設も多く、日本の郊外で見かけるような巨大なイオンもあったほどだ。広場周辺とはガラリと様相が違い、街の北側半分は現代的な施設が数多く林立していた。ザ・再開発という風景。少し進むと見覚えのある建物が眼前に。昨日お世話になったバスターミナルが見えてきたのだ。今日は昨日と違って余裕もある。余裕があるってのは、まるで見える景色が違うもんだとつくづく思った。

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マレーシア、タイ、カンボジア バックパッカーの旅 Part8(マラッカ4)

13/04/2011 in 旅記

宿で2時間ほど仮眠しただろうか。気が付くと17時を越えたくらい。夜になれば、目の前のジョンカーウォークでナイトマーケットが行われる。それまで夕涼みがてら、海辺まで散策でもしてみよう。 途中には海洋博物館などもあり、マラッカ海峡に沈んだポルトガルの交易船「フロール・デ・ラマール丸」(復元)などが仰々しくそびえたっている。飾ってあるといったほうが適切かもしれない。なんというか、借りてきた猫のようなたどたどしさが“いかにも”な感じで、申し訳ないが中に入って陳列物を見たいとは思えなかった。これなら北海道・江差の砂浜で鎮座されている「開陽丸」(復元)のほうがよっぽど趣があって好きだ。沈没した船であってもかつては海上にあった存在だろう。たとえ復元でも船は海に浮かべてやるものだ。海なき船は、夢なき眠りだ。 広場から20分も歩けば、広い道路が見えてくる。この先に行けば、マラッカの今が分かるような雰囲気だ。古都といっても、観光客が押し寄せる商業区もあるに決まっている。そういう近代的な施設は、広場周辺やジョンカーウォークには一切ない。切り離されている。ここに住む人たちが買い物をしたり遊んだりするエリアは、どこかにある。この先にあるんだろう。しかし、今は海が見たかった。さらにいえば、夕景が見たかった。生憎の天気だが、深夜特急で沢木耕太郎が見たがったマラッカの夕日は、薄日でもいいから見たかった。沢木の見た光景を見たかったわけではない。沢木の志が見た光景を見たかったのだ。 沢木耕太郎が見たであろう場所は今はなくなってしまっている。これがマラッカの夕景ではないだろう。もっと真っ赤になる。今はマラッカは雨季にあたるため、天気にはなかなか恵まれない。それでも、西の空から零れる光は、僕らを満足させるには十分だった。先端で釣りをしている人が見える。30分ほどぼんやりと、何を見るでもなく海を見ていた。船は通っていただろうか。魚は釣れただろうか。遠くで鳴いているであろうムクドリの鳴き声のけたたましさ。雨季の夕暮れのマラッカは肌寒いくらい。井上陽水の「積荷のない船」を聴きながらマラッカの海を眺めたりもしてみた。あるがまま。この海を多くの人が見たがる。理由はなんだろうか。眺めてみたが分からない。なので、ずっと眺めていた。 さらにそこから20分ほど歩いただろうか。海岸部は、「ポルトガル・スクエア」や「マラッカ州立モスク」などがあり、また違う毛色を持っている。桟橋から見えるモスクの雰囲気はとても物々しくて、思わず何枚も写真を取ってしまった。あそこに行くには、盗賊の鍵じゃたどり着けない気がした。魔法の鍵を持っていないと入れなさそうだ。べギラマじゃダメだ、イオラは覚えておきたいところだ。闇夜に包まれそうなモスクと夜のお店「Jetty」のコントラストは不思議な感じだった。イスラム圏はお酒を飲むにしても、なかなかデリケートなところがある。バドガールもどきのチャンネーたちがうごめく背後に、モスクがあるというのは文字通り背徳感が漂っていた。もちろん、そのバドガールたちのなかにイスラム系の人はいなかったが。 広場に戻ってきたのは19時過ぎ。2時間ほど歩いたり海を見ていたようだ。トライショーがライトアップしている。動いてなくてもライトアップ。計画性も効率性もなさそうだけど、とても素敵な雰囲気だった。動き出すとテクノポップやエレクトロニカを流すトライショーがある、80年代のTMネットワークを彷彿とさせる舞台装置。 ジョンカーウォークまで戻ってくると、なんという人だかり。まるで日中と違う。豹変したかのように、街の色が違う。もちろん夜なので空が青から黒に変わっているのもあるけれど、電飾や露店の色とりどりのカラーリングが、日中の大人しさからは想像できない。面白いものでメインストリートにばかり露店や屋台、人が集中して、ひとつ逸れた側道は電飾こそあれ、がらんどう、人が基本的に歩いていない。無法駐車の餌食になっているにしても、ここまでメインのみに全てのものが集中するのはなぜなのだろう? 一つ道を外れれば、誰かがいった「千と千尋の神隠し」のような光景が拝める。軒並みゲストハウスは「Full」の看板を掲げている。熱気や活気が、一つの道に集中する。龍脈というやつだろうか。とかくメインロードにすべてがある。 おもちゃ、雑貨、駄菓子、フルーツ、屋台フード、衣服類、大道芸人、すべて揃っている。でも、タイのWeekendマーケットなどに比べ、物価が安くない。面白かった。マーケットなるものは、通常よりも半値くらいで売られているのが相場だ。地元民が買いに来ることもあり、そのときばかりは地元民相場に変動するからだ。しかしジョンカーウォークのWeekendマーケットは昼間の値段とほとんど変わらない。それほどまでに夜も観光客が多い。実際、人口密度は半端ではない。昼にはあまりいなかったでろう、イスラム系やマレー系の地元民も繰り出しているため、所狭しと人が行き交う。彼ら彼女らは格安かつ色とりどりの屋台フードを家族や友人たちと食べに来ているようだった。こういう光景は日本だと夏祭りや祝祭や季節の節目にしかない。毎週末、ほどよいスケール感で人が賑わうというのはとても羨ましいことに思えた。 初日を無事に終えることに乾杯したくなり、お酒の飲めるところを探した。しかし、なかなかない。本当にない。ようやく見つけたのは、白人御用達のオープンテラスのバーのようなところ。ジョンカーウォーク沿いにあるためロケーションはいいのだけど、ビールの価格は高いわ(タイに比べると断然に高い)、まわりが白人しかい。「なんか違う」ということでやっぱりオーダーをキャンセル。いそいそと後にして、さらにジョンカーウォークの出口付近まで足を伸ばすと、地元民による(といっても中華系の方々)のど自慢コンテストが爆音で開催されていた。みな屋台で食べ物をつつきながら、そのステージを見ている。大繁盛で道路に適当に置かれているイスとテーブルは空きがない。ちょいと離れたところに空きテーブルがあったので、着席。うららかな美(微)声がこだまするなか、お目当ての屋台を探す。 着席したイスから半径20Mに屋台が20件くらいあるので、見てまわる。基本的に中華系がほとんどだが、マレー料理のようなものもある。麺もあれば炒め物もある。肉まんやフランクフルトみたいなものもあれば、カキ氷やジュース類を売っている屋台まである。でも、お酒だけは売っていなかったように思う。ビールを探しにぐるりと周辺を探しまわったけど見当たらなかった。結局、よくわからない炭酸飲料を購入し、乾杯。風が涼しかった。屋台で注文した炒め物は名前がわからなかったけど、作りたて&味付けも美味しいので文句なし。花の名前は知らなくても美しさは知っている、ってやつと一緒で、料理の名前はわからないけど美味さはわかる。屋台のおばさんたちとなんとなくコミュニケーションするのも楽しい。普段、面白いことばかりに注目しがちで、楽しいということをおろそかにしていたように思った。面白いという感覚には意識が必要だけど、楽しいという感覚に意識はいらない。無意識に面白いと感じたとき、それは楽しんでいるのだと痛感した。 側道の人のいない道を歩いたり、わき道に入ったりして、歩く。食後の散策は気持ちいい。入り口付近では、指でココナッツを割るという武道の達人と名乗る人物がショーを開いていた。初見にもかかわらず、インチキ臭さが尋常じゃないカンフーマスターは、巧みに中国語や英語、マレー語、ときに日本語を駆使して観客に話し掛けていた。たたずまいはゼンジー北京師匠、顔は松木安太郎にそっくりだった。よく分からないうちにココナッツを指で割っていたが、高橋名人が16連射で力まかせにスイカを割る少年時代のインチキ映像がすぐさまフラッシュバックし、僕はもうそのインチキおじさんに夢中になっていた。おじさんは、次からが本番だと言わんばかりに、最前列でアイフォンを構えていた白人男性を指名し、「ココナッツを投げてくれ。次は空中で突き刺して割る!!」とドヤ顔のフェイスフラッシュを撒き散らした。 そこからが凄かった。「1ミニッツ プリーズ」を20回くらいいっただろうか。1分待ってくれ、休ませてくれ、最初に宣言してから20分くらい経ってもまったくココナッツを割らない。そんなに最初のココナッツ破壊で指を痛めてしまったのだろうか。マレーシアで、まさかの虚実皮膜論。ずっと指を押さえて痛がっている。痛がって、痛がって、痛みを隠す、を繰りかえす。ほどよいタイミングで「1ミニッツ プリーズ」を挟む。この空気のグダグダ感は、まさに放送事故として「レベル7」(深刻な事故)と表現しても差し支えないほどだった。レベル1の「逸脱」からレベル6の「大事故」、そして7の「深刻な事故」にいたる張り詰めた空気の揮発感。このスライドしていくざわざわ感は、もう本当にすさまじいものがあった。20分以上ココナッツを持たされいる白人のお兄ちゃんは、確実に道で会ったら「ココナッツボーイ」と後ろ指を指されるだろう被害者と化している。本当に選ばれなくて良かった。さすがに限界だと思ったおじさんは、「OK!!」といって構えたと思いきや、テーブルからiPadを取り出し、タブレットを指でワンタッチしてココナッツが割れる映像を皆に見せてから「1ミニッツ プリーズ」と放言した。暴動が起きるかと思った。 間違いなくこの人は芸人であり、プロであると思えた。まわりをみると地元民はニコニコ笑っている。お馴染みなのだろう。しかし、初めて訪れたであろう白人たちの殺気たるや尋常じゃない。彼らは目の前の松木安太郎をいまだカンフーマスターだと思っている。「いつ割るんだ お前の頭を割るぞ kill you」的な視線に気が付いたおじさんは、いよいよ意を決し、ココナッツボーイに「カウントの後ゆっくり山なりに投げろよ」と最終確認に入った。机に置かれたココナッツを割ってから、30分以上経過している。この一部始終を録画していた白人のアイフォンは今しがた電量が切れてしまった。長すぎる。電量は切れ、みなの集中も切れ、ココナッツボーイもキレている。おじさんだけは切れずに続けていた。「いったいあの人は何をしているんだろう」、そこにいた9割の人が皆そう思うほかない精神的世界に突入していた。 白人のココナッツボーイが投げると、おじさんはそのままココナッツをキャッチしてしまった。皆の頭には「!?」が浮かびまくっている。特攻の拓!? おじさんは「全然山なりじゃないよ!」とココナッツボーイにダメだし。注意されるほど投げ方に問題はなかったように思う。これより山なりにするのか? なんて思っていたら、「finiiiiiiiish!!!!」とおじさんは宣言し、店をたたみ始めてしまった。マレーシアのピカデリー梅田である。とんでもない。本当にとんでもない。レベル10。みぞうゆうの大事故。風呂敷を広げまくった挙句、畳まないどころか、燃やして終わらせるという非人情相撲。世界は広い。究極の引っ張り芸(になってない!!)。勉強になったんだか、ならなかったんだか分からないけど、「いいもの」見れて大満足。異国で、うすた京介ワールドともいうべき人物を体感できるなんて! 後日調べてみると、その人はマラッカでは有名な大道芸人で、指を痛めては、痛みを取る効果がある(という)液体状の薬を販売するパフォーマーらしい。形を変えたプロ市民。たしかに、薬を指にこすりつけては、観衆に売りつけていた。最初に割ったココナッツ効果だろうか、購入者がなかなか多いからビックリして見ていた。でも、今思えばあの薬、お土産に一つ買っておけばよかったなぁ。 ジョンカーウォークのナイトマーケットは24時近くまで開いている。毎週こんな感じらしい。サイケという感じよりも、とにかくポップ。きっと多くの人が気に入るだろう。サイケなタイのナイトマーケットとは全く異なる雰囲気。宿に戻っても、ときどき聞こえる爆竹の音などが、まだマーケットが進行形であることを教えてくれる。まだ初日だというのに。その日は、夢のなかで“寝る夢”を見るくらいグッスリ眠った。

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マレーシア、タイ、カンボジア バックパッカーの旅 Part7(マラッカ3)

5/04/2011 in 旅記

ゲストハウスで一息つき、散策に出る。外は案外涼しい。気温は25℃を下回るくらいだろうか。この時期雨季であるマラッカは、若干の湿度こそあれ、海辺特有の風も吹くおかげもあって、労なく歩けそうだった。バナナバックにパスポートやお金を入れ、簡易マップを片手に外へ出る。この瞬間は、装備だけでなく心も軽くなる。ムクドリが飛び立った先は我々には予測できないが、ムクドリもまた我々が飛び出した先はわからないだろう。なんせ、自分たちですらどこに行くか決めてないのだから。 川を越え、再び、スタダイス広場を目指す。途中には、 聖フランシスコ・ザビエル教会がある。このザビエルというのは、“あの”ザビエルだ。ポルトガルは、このマラッカを植民地下に治めた後に、鹿児島、平戸へと宣教師ザビエルを向かわせたというわけ。ちなみにザビエルはポルトガル人じゃなくてスペイン人。どっちだっていいような気がするけど、ザビエル的には「そこははっきりしておいてほしい」と自己主張するような気がするので明記しておく。ただフェリペ2世がスペイン国王になると、ポルトガル(海上)帝国の帝位もかねてしまうため、ポルトガル植民地がスペイン植民地に鞍替えってしまう。1588年にスペイン無敵艦隊がエゲレス艦隊に敗北したこと(アルマダの海戦)でスペインの影響力は弱まり、1640年に再びポルトガルは独立する。このようにポルトガルとスペインの歴史は、外国人である僕からすると非常にややこしいし、「どっちでもいい」と言いたくなってくる。4月1日のエイプリルフールネタで、ポルトガルが「C・ロナウドをスペインに売却。晴れてスペイン人に」というニュースを流し、国内で賛否両論であったというけど、案外ポルトガル人も「どっちでもいい」と思っているのかもしれない。 当時はポルトガルが一大勢力であったため、ポルトガルはインドのゴアやマラッカといった海洋拠点ならびに東方貿易拠点をことごとく支配下に治めていった(ゴアは鉄鉱の生産地。この鉄が種子島へと展開していく)。日本に来た理由は、マラッカで出会った日本人「ヤジロウ」との交流から日本に興味を持ったといわれている。もしヤジロウに出会わなければ、少なくてもこのタイミングで日本に来ることはなかったかもしれない。となると、大友宗麟もキリシタンになっていなかっただろうし、よりによって名君・島津貴久に排撃されることもなかったし、火縄銃の伝来も遅れていたかもしれない。意外とマラッカと日本の接点って密接だし、あなどれないのだ。ヤジロウに出会わなくても、他の英語の喋れる日本人かアジア人に出会い、信長という近代の幕を開けた傑物がいた時期に訪日したのだろうか。きっと来ていたんだろうなぁ。 教会と広場は目と鼻の距離といっていい。その背後に、小高い丘がある。馬鹿と煙は高いところが好きというわけで、とにかくその丘が気になった。来るときは、丘が背後にあったためにあまり気が付かなかったが、いざ広場方面に向かうとなると、どうしたってその丘が気になってしまう。地図で確認すると、どうやらそれが「セントポール教会」という建物らしい。とかくも、まずはマラッカという町をなんとなく把握したい。そのためには、一等高いところに行くのが早い。そういうわけで広場のみやげもの物色もそこそこに、「はやくあの丘に登ろうぜ!」と、馬謖ばりに登頂を決行。なんてことはない、骨折れ損だったら、涙一つ流さずに自分を切ればいいのだ。漫☆画太郎先生の傑作4コマ『JKの会話編』における「ねぇねぇ今日どうする? マックるぅ? それとも“泣いて馬謖切るぅ?”」である。 頂上につくと、セントポール教会とやらは面影を残すだけで、形をなんとなく残しているに過ぎなかった。屋根はすでに朽ちていた。しっかりとそこに君臨しているのは、ザビエル像だけで、ここが何かのエネルギーに満ちていた場所とは思えない。ザビエルの向かう方向にはマラッカ海峡とコロニアル調の建物が立ち並んでいる。この海の先に、永遠の繁栄でもあると思ったのだろうか。大航海時代ただ中のマラッカは、煌びやかだったに違いない。しかし、今この場所にいる僕の耳に聞こえてくるのは、朽ち果てた教会の中でギターを奏でる物乞いの力のない演奏だけだった。 丘を後にする。時刻は正午をそうとう回ってしまっていた。昼ごはんはどうしようか。換金ついでに、広場近くを色々と歩いてみる。運河の雰囲気。外灯があれば小樽に似ているかもしれない。小さい運河の雰囲気は、フォークソングそのものだ。地域に密着した経済発展の結晶という雰囲気がなんともいえず好きだ。 幾つか換金できそうな場所を周ったが、またその幾つかはお休みだった。そのため、いまいちレートの比較ができない。換金は明日。バスターミナルに行ったときにと仮決定し、周ったついでにあたりをつけていた昼飯処を再確認する。 川沿いのオープンテラスも無駄に魅力的だった。横を見ると、「きたなシュラン」に出てきそうな小さな中華料理屋に続々と中国人観光客や地元の華僑系が入店していく。料理屋というよりも、むしろ屋台に近いサイズのお店だ。お店をのぞくと、大繁盛。もう入れそうにない。隣のオープンテラスを見ると、大学の卒業旅行っぽい感じのアジア系の人たちや白人たちで溢れかえっていた。 気が付くと、僕はジョンカーウォークの出口辺りにある中華屋台に入っていた。お店や利用者を観察していたらキリがない。本当にない。面倒なことだが、観察よりも意思を持って食を選ぶ。これは国内・国外問わずだ。本当に食べたいもの知りたいもの。そういうものを考えていたら、この店に入っていた。丸テーブル。店の中は、華僑系しかいないため、広東語?北京語?それとも中国公用語だろうか、とにかく「シェイシェイ」的な発音が飛び交っている。オーダーを取りに来る気配はない。よく見ると、みな、店頭の屋台でなにか頼んでいる。あそこで注文を取って自分で席まで持ってくるらしい。言葉は通じないが、屋台の窓に書かれた英語メニューを指差し注文。なんとなく、「上に乗せるトッピングを選べ」ということが伝わってくる。ぎこちなかったと思う。ぎこちないながら4RM(約140円)を払う。言葉が喋れれば、お茶とか甘いものとかも頼めるんだろうけど、とにかく処女みたいに初々しさと積極性が高まっていたため、ヌードルを頼むだけで精一杯。次はBくらいまでいきたい。目指せ、ジョンカーペッティング。お昼だけど恥ずかしいから、店内を真っ暗にしてほしかったです。ヒルナンDEATH。低視聴率万歳。 写真をみたら分かると思うけど、このシーフードヌードルは言うまでもなく美味しかった。日本のラーメンは苦手でして、なんというか好みに合わせすぎている感じが、どうも肩が凝る気がして(それだけ細分化してるのは凄いのですが)。だから、素のあじが楽しめる蕎麦のほうが断然好き。でも、このヌードルは、日本で蕎麦を食べているような自然な味で、すごい食べやすかった。もちろん、魚のすり身や揚げた豆腐、それにエビといったトッピングもうまし。僕が彦麻呂だったら、「コメントはありません」と職場放棄ですな。残念ながら、彦麻呂じゃないんだけどね。 中華飯店でまったり。なんだか、ジョニー・トーの映画の1シーンみたい。映画だったら、このまま店内で銃撃戦になるんだけども、「やっぱり川のほとりでドーナッツ食いたい」とOLみたいな決断を下し、シーン終了。OL宣言。ダーマに行かなくてもOLになれるのだ。一路、広場前で美味そうなドーナッツを売っていた屋台を目指す。途中、セントポールの丘に登るときに、蚊による甚大な被害を受けていたため、虫除けスプレーを購入。ドラッグストアとは口が裂けてもいえない、古ぼけた華僑系薬屋さんで買ったスティックのりみたいなタイプの蚊除け。5RM(180円)。さっきの麺よりも高い。でも、スティックのりのような外観からは、中国3000年~1000年、もしかしたら900年~100年、場合によっては100年~今にいたるまでの可能性を示唆した雰囲気を漂わせていたため、薦められるままに購入した次第。もしかしたら、蚊除けだけじゃなく、これを塗ったらマレー女子にモテるかもしれない。的な幻想を抱いていた時期が私にもありました。すみませんでした。とりあえず道具箱が「うまの糞」でいっぱいになる前に、蚊よけをゲット。些細なことが面白い。

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